児島湾漁師の話にはエベス様、龍宮様を祀る話がよく出て来る.その中にときどきフナダマ様の話がある.
湯浅照弘さんが採訪した人々の話の中に
「フナダマ様は、船の中心にオヅシを作って、お宮の神主さんに拝んでもらったお札を入れて祀る.潮見の狂いのときにチンチンと音をさせながら船の周りを舞う.そういうときは『フナダマ様が勇んでいる』と言っていた.フナダマ様が勇みなさるのは、夜が多かった.雨が降ったり、日和が悪くなる前に勇まれた.フナダマ様は毎月1日と15日にご飯とお水、お酒を差し上げ、5月5日には、お祭りがあった.機械船にもフナダマ様はある.」(話者/明治29年生まれ)
フナダマ様(船玉様、船霊様)は釈迦如来であるとするもののほか、大日如来、聖観音、如意輪観音など、諸説入り乱れているようだ.東北から九州にかけて広く行われたフナダマ様に関する調査では、
・船の精霊、神であること
・明日、明後日に起こる船の災厄を事前に船人に知らせてくれる
・船が航行中に鈴虫が鳴くような音(リインリイン、チンチン)として聴こえて来る
・フナダマ様が鳴くときのことは、地域によって《しげる》《しげらっしゃる》《いさむ》《さえずる》《おめく》などと表現されている
・フナダマ様を安置する(ゴシンを入れる、ゴショウネを入れる)のは、船のツツ(筒)と呼ばれるところで、船大工の棟梁が神官的な役割を担っていた
ということが、概ね共通しているらしい.
いずれにしても、無動力船での海上の緊張感の中で生まれ、動力船の音と安定とともに消えた信仰であるらしい.
このことで思い出されるのは、現在の児島湖周辺で児島湾堤防締切以前のことを聞き取りする中で「ときどき夜中に堤防の辺りで死体が上がるが、見つけても逃げたくなった.できれば関わりたくないわ、そりゃ.引き揚げるのに大変なんじゃ」という人々の話だ.漁師の間では、漂着死体は《流れ仏》と呼び、拾って持ち帰り弔うと大漁を約束される吉兆だったという.仏(遺体)を乗せる位置は、必ず表(船首)と決まっていて、それはフナダマ様の目に触れぬ反対側に位置していた.仏を乗せる場所、下ろす場所は、フナダマ様を乗せて下ろすのと反対の流れで、一度乃至二度《流れ仏》を乗せた船はフナダマ様を取り替えたという.
人の死の扱いが、海の上でも、音と光とともに変わったらしい.
(文/もりちえ)
参考文献
須藤利一編 櫻田勝徳 (1991)「船霊の信仰」『ものと人間の文化史1 船』 法政大学出版局
住田正一編 桃木武平 (1944)『和漢船用集』 東京巌松堂書店
北浦は、一本釣り漁師が多く、そういう漁師は燧灘を漁場としていたから児島湾には関係がなかった.箱崎神社の下に沖組合の事務所が今(昭和45年当時)もある.フナダマ様は正月は家に上がっている.エベス様の棚にフナダマ様のお札がある.節季の旧12月27日から28日ころに帰って来ます.舟を清めて上がり、舟をきちんと繋いでおく.普段もフナダマ様をエベス様と一緒に祀って、家の者もお供えしていた.お神酒もご飯もお供えした.エベス様とフナダマ様とは神棚はちがうが、天照神宮、コンジン様をいっしょに祀っている.エベス様と龍宮様のお祭りということで大漁師の舟競争があった.それに特に名前はなかったと思うが、8軒の大漁師の家が、樫木漁に使う舟の中でも軽いようなのを2艘ずつ出して競争する.樫木漁の網を下げるのに使うカギミザオをもって相手の舟を突っぱねたり舟を先に行かさないようにする舟の喧嘩だ.それを、よその者も波止の上の方に上がって見ていた.賑やかだった.
昭和45年採訪
[聞き手/湯浅照弘、編集/森千恵]